WS000963新春巻頭言

もう一度「百人一首」を楽しんでみませんか

ICT海外ボランティア会特別顧問 元駐ケニア大使
宮 村  智

 ICT海外ボランティア会の皆様、新年明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。

 新春と言えば、昔は多くの家庭で百人一首のかるた取りを楽しんだものでした。私の生家でも正月三が日の夜は一家揃って、時には近所の人々も交えて、かるた取りに興じました。

 子供同士で坊主めくりもやりました。しかし、大学生になった頃から、百人一首で遊ばなくなり、最近まで百人一首と縁の無い生活を送って来ました。そうしたところ、昨年春に友人が「百人一首談話室」と題するブログを開設し、懐かしい百人一首を題材にブログを介した仲間との意見・情報の交換が始まりました。

 知的な刺激があって、これが実に楽しい! 皆様も再び百人一首を楽しまれるようにと願いつつ、今回は百人一首と百人一首談話室について、拙文を認めることにしました。 

 百人一首とは、歌人百人の歌を一人一首ずつ撰んでまとめた歌集です。鎌倉時代初期に藤原定家(1162-1241)が編んだ小倉百人一首が最もよく知られており、一般に百人一首といえば小倉百人一首を指します。

 小倉百人一首と呼ばれる由縁は、定家が娘婿である宇都宮頼綱から京都郊外の嵯峨にある小倉山荘の襖に歌を書いた色紙を貼りたいとの依頼を受け、それに応えて、百人一首を撰んだからです。WS000199

【右は尾形光琳作の「光琳かるた」の読み札に描かれた藤原定家】

 百人一首の作者(歌人)は天智天皇(626-671)に始まり、順徳天皇(1197-1242)で終わる約600年の間に生きた100人です。この600年間は時代で言えば、飛鳥後期から奈良・平安を経て鎌倉初期までに当たります。

 百首の内、前後10首ずつくらいは飛鳥・奈良時代と鎌倉時代の歌で、残りの8割は平安王朝時代の歌です。作者は男性79人・女性21人で、男性は天皇7人・親王1人・貴族58人・僧侶13人、女性は天皇1人・内親王1人・貴族の母2人・女房(女官)17人です。男女比、身分の配分とも絶妙のバランスであると感じます。

 ちなみに、百人一首の歌はおおむね年代順に配列されて番号が付されており、これを歌番と言っています。

 百人一首の歌は全て、天皇や上皇の命で編まれた歌集である勅撰集から採られています。

 歌の内容は四季32首・羈旅4首・離別1首・雑部20首・恋43首となっています。百人一首の半数近い数を占める恋の歌は、その喜びを真正面から歌ったものはほとんど見られず、もっぱら、しみじみと悲しく哀れなものです。

 主に、詠嘆・憂悶・怨嗟・純愛・後朝の思いなどを詠っており、「みやび」と「もののあはれ」とを中心とした王朝貴族の情趣生活を遺憾なく表していると評されています。恋の次に多い四季の歌は、その半分の16首を秋の歌が占めています。

 これは物悲しく寂しい秋を好んだ王朝貴族の美意識の表れであり、撰者の定家自身も秋を好んでいたと言われています。このように秋を好む美意識は、恋の喜びよりも切なさを詠った王朝貴族の心情と相通じるものがあると思われます。

 我が国の中世以降において、和歌は勿論のこと、物語・歌謡・連歌・俳諧・大和絵・能・浄瑠璃・歌舞伎、さらには俗曲・狂歌・川柳・戯作・風俗行事に至るまで、すべての文化領域の典拠となり基礎となったのは、王朝時代の勅撰和歌であると言われています。

WS000200 そのエッセンスともいえる百人一首は、正に日本の文化伝統の基礎を作った600年間のアンソロジー(詞華集)と言えるでしょう。

【左は百人一首談話室に投稿された松風有情さんの絵】

 百人一首が広く国民全体に普及したのは近世初期にポルトガルから伝わったカードゲームである「カルタ」にヒントを得て、百人一首がかるたの形式になったからだと言われています。

 百人一首かるたは、当初はゲームというよりも、歌の暗記や嫁入り道具としての用途が主だったようです。ところが、幕末頃に上の句と下の句が書かれた読み札と、下の句だけが書かれた取り札という現在の形が完成し、正月に行われるゲームとして、歌かるたが一気に普及していきました。

 そして、明治に入って競技かるたが成立し、名人戦やクィーン戦も行われるようになって、現在に至っています。歌かるたほどではないにしても、漫画を含めた様々な解説書や注釈書も百人一首の普及に一役買ってきました。 

 さらには、百人一首はしばしばテレビでも取り上げられており、現在もNHKの Eテレで「趣味どきっ! 恋する百人一首」が放映中です。

 さて、次に私どもが「百人一首談話室」と称するブログで、どのように百人一首を楽しんでいるのかをご説明しましょう。

 ブログ開設者である友人は開設の趣旨を大略、次のように記しています。

 「百人一首は日本の古典・文化の目次みたいなものでしょうか。 7世紀半ばから13世紀半ばまでの600年間の歴史が詰まっています。百人の歌を一首ずつ読んでいくと歌の背景にある政治・社会情勢とその中で生きる人間模様がまざまざと蘇り興味がつきません。

 百人一首を2~3冊本を読んだだけですましてしまうのは勿体ない。

 もっともっと掘り下げて徹底的に楽しもう!というのがこのブログの趣旨です。

・・・ブログ名を『百人一首 談話室』としたのは、百人一首を媒体とした楽しく知的で品のいいトーキングサロンみたいな場になればいいなあと思ったからです。」・・・

 ブログは昨年3月にスタートし、3月中はウォーミングアップとして、開設者が百人一首全般についての基礎知識を説明してくれました。

 4月から当初は週2回、現在は週1回月曜日に、百人一首を歌番の順に一首ずつ取り上げ、まず開設者が解説を施します。

 その後、フォローアーである私どもがコメントを投稿し、そのコメントに対する質問や追加コメントは誰からでも自由です。ブログではハンドルネームを使うことにしており、開設者は百々爺と称し、私は百人一首作者の中で憧れの2人である源融と在原業平、そして自分の名前を組み合わせて、源智平朝臣と称しています。

 百々爺の解説は、歌の訳詩・作者・出典等の基本項目を記した後、歌が詠まれた当時の歴史的背景・作者の経歴・作者の人物相関関係・歌の評価や感想、そして源氏物語との繋がりなどを自らの感想も交えて、自由に記しています。

 私は歴史好きで、作者や作者の人間関係に興味があるので、そうした事柄に関する面白そうな情報をネットで探し出して提供するほか、歌に対しては率直に自分の感想を投稿しています。WS000201

 私以外のフォローアーのコメントも実に様々で、とても有益なものや面白いものが沢山あります。

 例えば、

①能に詳しく、歌がどう謡曲に折り込まれているかを解説してくれる百合局さん、
②成人大学やカルチャーセンターで学んだ関連知識を投稿してくる小町姐さんや八麻呂さん、
③歌を素敵な絵にして投稿してくる松風有情さん【右の絵】、
④歌に触発されて作った川柳や狂歌を投稿してくる枇杷の実さん、
⑤歌に絡めて最近のニュースや世相を投稿してくる文屋多寡秀さん

、といった具合です。コメント数は毎回20件前後に上っており、百人一首談話室は、百々爺の期待通り、楽しいトーキングサロンになっています。

 百人一首は昨年取り上げた源氏物語より遥かに入りやすいと思います。

 ここまで読まれて、百人一首に興味を持たれた方や百人一首を懐かしく思い出された方は、一度、インターネットで百人一首談話室を覗いてみてはどうでしょうか。

 談話室では「読み進め方について」や「参考書」の欄で、百人一首の解説書等も列記しており、そこで勧めている本を買い求めて読めば、容易に百人一首の世界に入っていけます。

 さらに、談話室は閲覧だけでなく、投稿も自由なブログなので、ハンドルネームを作って投稿されれば歓迎されるでしょう。

 最後に、「百人一首と海外ボランティアと何の関係があるの?」と問われそうなので、私の考えを記せば、我々日本人は何処にいて何をしていても、日本文化の源を学ぶことが大切だし、楽しくもあると思います。

 百人一首談話室は海外でも閲覧・投稿とも自由です。

 また、赴任の際に、例えば「田辺聖子の小倉百人一首」などを持参され、赴任先で毎日一首分ずつ読みながら、(もし、まだなら)赴任中に百人一首を全部暗誦してしまうこともお勧めです。

 百人一首の中で、唯一海外で詠まれた歌である安倍仲麿の「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」を唱えて日本を思いながら、百人一首を楽しまれるのも、おしゃれではないでしょうか。

 

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