第2の故郷を持つ楽しみ

2010年1月 特別顧問 宮村 智

NTT OB SV会の皆様、新年明けましておめでとうございます。年頭にあたり、皆様方とご家族のご健康とご多幸、そしてNTT OB SV会の益々のご発展を心からお祈りいたします。

昨年は政権交代により政治が一新し、経済も世界的危機からの回復の兆候を見せるなど、今後に大きな期待を抱かせる変化が見られましたが、年末にかけて期待を裏切るようなニュースが相次ぎ、残念ながら、先行き不透明な新年の幕開けとなったと感じています。

 本年は寅年です。日本の政治・経済がどうあれ、一日に千里を往復し、孤高を楽しむ虎のように、国民各自が勢い良く元気で、誇りを持って生きていくことが大切なのかも知れません。 

さて、この度、加藤事務局長から「年が改まる機会に、何か寄稿して下さい」との依頼がありましたので、標記のテーマで私の体験や思いを綴ってみることにしました。 

私はNTTで常務を務めた後、2004年7月に駐ケニア大使に任命され、約3年間、アフリカ大陸に住むという経験をした。私にとってケニアは未知の世界だったので、期待と不安が入り混じった気持ちで赴任したが、結果的には、公私とも誠に充実した楽しい3年間を過ごすことができた。振返ってみると、その理由は大きく分けて、次のようなに整理できる。

第1は、駐在したケニアの首都ナイロビの住み心地がとても良かったこと。その最大の要因は気候で、ナイロビは赤道に近いものの、海抜1650m前後の高地であるため、ほぼ一年中、夏の軽井沢のような爽やかで快適な気候に恵まれていた。日常生活については、治安には気を付ける必要があったが、中高層ビルが立ち並ぶ予想以上の大都会だったので、まずまず便利で大きな不自由はなかった(右はナイロビ中心部の写真)。住み心地の良し悪しは人間関係にも左右されるが、ケニアの人々は一般的に陽気でフレンドリーな上に親日的であったし、600人強の在留邦人のまとまりも良かったので、楽しいお付合いができた。miyamura-1

第2は、ケニアやアフリカが魅力溢れる大地であったこと。ケニアは野生動物の宝庫であり、アフリカ大陸以外では体験できない広大なサバンナでのサファリを存分に楽しむことができた。ケニアは、また、眺めて良し登って良しの山々、美しい湖、真っ白な浜辺と珊瑚礁の海からなる海岸など、豊かな自然にも恵まれていた。興味深いスワヒリの遺跡もあった。週末や休暇の際には、これらを気軽に楽しむことができた。さらに、まとまった休暇を取れた時は、世界的にも有名なビクトリアの滝やピラミッドといったアフリカの観光地を訪れることもできた。

第3は、大使の仕事はやりがいがあって、面白かったこと。仕事の内容は多岐に亘っていたが、貴重な体験の一つは、普通であればなかなか会えない名士(セレブ)と会ってお話する機会を持てたことである。例えば、私が大使を務めていたアフリカ5カ国(ケニアに加え、エリトリア、セーシェル、ルワンダ、ブルンジの大使を兼任)の大統領や大臣とか、これらの国を訪問された日本の大臣・国会議員・財界人・有名人などとの面談はそれぞれに印象的で思い出深い。また、私は途上国に対する開発援助の仕事に経験と関心があったので、現地でこうした仕事に携わることができたのは嬉しかった。アフリカ各国の政府要人は日本やアジアの経済発展の経験に強い関心を有しており、彼らと国造りの戦略について熱のこもった意見交換を行い、アジアの経験を伝えることはやりがいが感じられる楽しい仕事であった。

大使在任中、私はできるだけ大使館に閉じこもらずに、様々な外の会合や行事に積極的に参加し、開発援助の現場を訪問することにした。それが、「日本の顔」としての大使の役割であり、アフリカの人々との交流を深め、アフリカの実情を知るためにも有益と考えたからである。また、休暇もヨーロッパなどには行かずアフリカで過ごすことを原則とし、ケニア各地や他のアフリカ諸国を訪問することにした。こうしてアフリカ、特にケニアで、楽しい思い出を沢山作り、3年間の任期を全うして、2007年8月下旬に帰国した。故郷(ふるさと)という言葉は、自分が生まれた土地のみならず、なじみ深くなった土地も意味するが、後者の意味で、私はすっかりケニアを自分の故郷にして帰国したわけである。

帰国後、ケニアは私に「第2の故郷を持つ楽しみ」を与えてくれた。「故郷は遠くにありて思うもの」で始まる詩があるが、遠い海外に第2の故郷を持つことは格別に様々な楽しみを提供してくれるような気がしている。

その一つは「アフリカ研究という楽しみ」である。私は帰国後に損保ジャパン総合研究所理事長に就任したが、このポストでは時間的なゆとりがあったので、アフリカでの体験をまとめた本を書くことにした。本の題名は「貧しくとも魅力溢れるアフリカの大地から」というもので、大使在任中に高校仲間のホームページに投稿していた「ケニア通信」というブログを基に作成した本である。この本にはノーベル平和賞受賞者で「モッタイナイ運動」で有名なワンガリ・マータイ博士が推薦の言葉を寄せてくれた(左は拙著を前にしたマータイ博士と私)。発行所は毎日新聞社で、発行日は20008年3月30日であったが、この本の発行後、ラジオに3回ほど出演を依頼され、各所から講演を頼まれるようになった。講演では広くアフリカ全般の問題を取り上げてほしいという注文が付く場合が多かったので、アフリカ全体の研究を始めたわけである。研究といっても、アフリカにmiyamura-2関する書物を読み、アフリカ研究者から話を聞き、アフリカのニュースを毎日インターネットでフォローするなどして、講演内容に反映させる程度のことであるが、3年間住んだアフリカの歴史、現状、課題などを改めて幅広く勉強するのはとても楽しいと感じている。ただ、昨年春に知人からの思いがけない要請あり、8月から韓国系の新設銀行の経営に当たることとなったため、現在は講演を引き受ける余裕はなくなり、アフリカ研究も中断気味である。

「アフリカ関係者との交流という楽しみ」もできた。交流相手は様々であるが、在ケニア大使館で一緒に働いた館員やケニア在住経験者との会合は、いわばケニアを第2の故郷とする仲間との同窓会のようであり、昔の思い出話を肴にして、いつも盛り上がる。在日ケニア大使館主催の行事や野生動物の写真展示会に招かれて、ケニアを懐かしむ機会も少なくない。さらに、上記のアフリカ研究のためもあって、ある研究者と「アフリカ研究会」と称する会を立上げ、アフリカ関係者を夕食に招いて、アフリカについて情報や意見の交換をすることも始めた。実態は気楽な呑み会に近いが、研究会の参加者はアフリカというと目を輝かすようなアフリカ好きが多いので、本当に楽しい会合となっている。

「故郷ケニアを支援する楽しみ」もできた。ケニアには貧しい人々を助けようと現地で活動をしている日本人も少なくない。例えば、孤児院をやっているKさん。また、スラムの子供向けに幼稚園を開設しているI夫妻。こうした人々の活動に共鳴し、いくばくかの寄付を行っている。大方は自己満足と認識しているが、私の浄財により、ケニアの貧しい人々の暮らしが少しは良くなり、自分自身が天国に行ける可能性も高まるように祈っている。

「ケニアに里帰りする楽しみ」もある。実は、昨年秋に最初のケニアへの里帰りを計画していた。その里帰りは「飛んでイスタンブール」のヒット曲で有名な庄野真代さん率いるNPOである国境なき楽団に同行するツアーであった。国境なき楽団は、日本で中古の楽器を集め、それを開発途上国に送って貧しい子供達にプレゼントした後、その国を訪れて、貧しい子供達を招いて、コンサートを開催し、音楽の楽しみを教えるといった活動をしている。私は2年前に庄野さんと会って、2009年秋に国境なき楽団のケニアツアーを実現しようと約束し、準備を手伝いつつ、ツアーに同行する予定をしていた。ところが、上記した転職のため、11月下旬に実施された国境なき楽団によるケニア訪問ツアーへの参加を断念せざるをえなくなり、誠に残念な思いがした。せめてもの慰めは、庄野真代さんが招いてくれたケニア帰国報告コンサートに参加したところ、彼女から「ケニア訪問は感動一杯の旅でした」との感想を聞いたことであった。昨年は実現しなかったが、アフリカには「アフリカの水を飲んだ者は再びアフリカへ帰る」との諺があり、いつかまた、ケニアに里帰りする機会もあるだろうと楽しみにしている。

私はケニアから帰国後、趣味の欄に「アフリカ」とか「アフリカ研究」と書き加えることにした。「アフリカが趣味です」と言えるのは「ケニアという第2の故郷」ができたからである。還暦を過ぎて、アフリカに関する本を読み、アフリカの政治経済の動向をフォローする楽しみができたことは、何か自分の人生がより豊かになったような気がする。また、アフリカに熱い思いを抱く仲間と語り合える機会を持てることは、誠に楽しく、幸せと感じている。

NTT OB SV会のSV体験記を拝見すると、SVの皆様は派遣国での仕事や生活、さらには国内各地への旅行などを通じて、派遣国を体験・観察し、楽しい思い出を沢山作られている方が多いように見受けられる。そして、派遣国を第2の故郷とし、帰国後は、私と同じように「第2の故郷を持つ楽しみ」を味わっていらっしゃると推測している。であれば、NTT OBでSVに関心を持つ方に対して、SVは帰国後に海外に第2の故郷を持つ楽しみを与えてくれ、人生をより豊かにしてくれることを話して、SVへの応募を慫慂してはどうであろうか。(了

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