地デジ日本方式の南米普及に思う

 本会顧問

NECビッグローブ(株)社長
飯塚 久夫 

本題に入る前に、私こと、このたび僭越ながら当会の顧問を拝命いただき、誠に光栄なことと恐縮している次第です。

私は、40年間のNTTグループ生活の中でも、海外の駐在経験もなく、国際と言えば、1999年のNTT再編前、いわばNTT一体時代最後の資材調達部長兼国際調達室長をやって、1981年制定の日米調達協定の廃止交渉を総務省、外務省とともに行った立場です。遡ると、40年前の若い頃は海外からの技術研修で電電公社を訪れる人たちへの講義、30年ほど前から資材調達・国際調達の仕事で“貿易摩擦”にも関わり、90年代は“マルチメディア構想”のもと米国西海岸シリコン・バレーの各社に通い詰めました。

以上のような立場から80年代の日本メーカーの世界飛躍、そしてその後の海外での凋落を見てきて、昨今は感無量の思いひとしおのこの頃です。情報通信国際交流会にて、当会の加藤隆さんを始めとして各社諸先輩方がいかに国際活動についても戦略的かつ実践的な活躍をなさってきて、今日でもその本質を維持されているかを伺い、改めて今のNTTが、メーカーが、さらには日本が取り戻して欲しいことがあることを歯がゆく思っているところでもあります。

自己紹介はこのくらいにして、テーマに入ります。ご存知かと思いますが、日本では本年7月にテレビのアナログ放送が停波となります(除東北地方)。そのデジタル放送日本方式はISDB-Tという国際標準にもなっています。

NTT(コミュニケーションズ)は日本のテレビ放送開始以来その全国中継ネットワークによる伝送と交換業務(いわゆるMASCOTシステム)を請負っているのもご案内のところでしょう。このサービスは当然ながらテレビの一コマ落ちも許されない、すなわち全国津々浦々で何があっても(外部要因による伝送路断でも装置故障でも)30分の1秒以内(テレビは1秒30コマ)に回復させる、さらに言い換えると、視聴者には一切故障が分からないようにするという極めてミッション・クリティカルなものです。

私はNTTコム時代このテレビ中継ネットワークのデジタル化プロジェクトの責任を途中から引継ぎ、言葉で語り尽くせないほど多くの困難な課題もありましたが、MASCOTなどで苦労と成功をなさってきた諸先輩方のサポートもあり、無事仕上げることが出来ました。ほぼ5年前のことです。NHK、民放、全国約200放送局を結ぶネットワークのデジタル化がすべて終わって、その後、地方局自営部分のデジタル化も進み、今日、ファイナル・ステージを迎えているわけです。

一方、この地デジ日本方式は、日本の技術がグローバルに普及しなくなった昨今にあって、めずらしくも世界11カ国が採用を決めてくれています。といっても、フィリピンを除くと、そのすべては中南米で、特に南米はコロンビア以外はすべて日本方式になりました。その決定過程は、総務省を始め電波産業会やメーカーなど日本の関係者が大いなる努力をしたことは言うまでもありませんが、特に総務省の技術系で初めての総務審議官(Vice Minister)寺崎明氏(現在は野村総研理事)の活躍はめざましいものでした。彼は2年間に24回も南米を訪れ、日本方式のメリットをアピールしました。それは端的には移動放送への柔軟な対応(日本でいうワン・セグ放送)ということです。もちろんそうした技術的・サービス的な優位性のみでなく、人的な関わりの大切さを極めて有効に打ち立てました。

実は、私もその人的な面で多少貢献しました。特にまずブラジルが日本方式に決めてくれた(2006年)後、しばらく話が進まなかったのですが、ある日、寺崎さんから『飯塚さんは確かアルゼンチンにいろいろ知己がいますよね。ちょっと一緒に行ってくれませんか?』との依頼がありました。それは私の趣味(アルゼンチン・タンゴ)の関係なのですが、仕事も40年経ちましたが、趣味の方は50年で、若い頃からの知人が、(どこに国でもあることですが)歳をとると、それなりのポストについて、現在アルゼンチンの大統領府や大臣クラスになっていました。そこで、直接の交渉当事者ではなくても、いわば外堀を埋めるという意味で、私も喜んで協力しました。というのは、ブラジルに次いでアルゼンチンが日本方式に決めてくれれば、他の南米諸国は全部なびくのではと、私は確信していたからです。しかも、放送というのは技術だけではなく、その国の文化にも関わることですので、当事者だけではなく、メディア大臣や文化担当の国会議員なども寺崎氏と一緒にあるいは私単独で回ったりしました。

それがどこまで貢献したかは定かでありませんが、結果としては2009年8月にアルゼンチンが日本方式に決めてくれた後(実際はその直前にペルーが決めてくれましたが)、案の定、あっという間にすべての国が日本方式になりました。当時既に欧州方式に決めていたウルグァイまでその後(2010年)日本方式に変更するということにもなりました。

ところで、ここで、決してこうした私のささやかな貢献の自慢をしたいのではありません。さらにその後、実に残念なことが起きているということを申し上げたいのです。それは、私が寺崎さんと同行している最中にも、彼にブラジルの大臣から呼び出しが来たりして、クレーム的なことが起きていたのです。要は、ブラジルが折角日本方式に決め、南米全部に広がれば、4億人マーケットが開けるのに、日本メーカ-の誰一人として肝心の端末を南米で出してくれないではないかというクレームでした。もちろん、南米で端末を出そうとすると

100ドル程度でないとということはありました。日本のように複雑な機能は不要だから、通話機能とワンセグ視聴だけが出来ればいいのだということです。でも、端末は日本では5万円とかですから、日本メーカーは二の足を踏んだのでしょう。そうこうしているうちに、韓国のサムソンがブラジルを席巻し、LGも加わってアルゼンチンで出したときには300ドル近い端末になっていました。それでも日本メーカは誰も動かない!(現在では日本のS社が動いているとの話はありますが...)

日本は何故、何時からこういう国になってしまったのだろうと私なりに考えることになりました。その詳細をここでは述べませんが、乱暴に言うと、この25年間、日本の情報通信業界で起きてきた「競争の不条理性」を感じます。また、一件飛躍するようでもありますが、今回の大震災にあたって、某紙に冨山和彦という人が書いている下記の言葉と符合させて考えざるを得ません。

  1. lエリート層の資質の問題…危機に直面しているのに、決めるべきことが決められない。判断することを避ける。「上と相談する」「県から要請が来ていない」「用件に該当しない」そんな反応ばかり…保身とメンツと責任転嫁。
  2. l私たちはこういう「リスクを取れない、判断できない」人たちを「エリート」として政と官と民のリーダー層に据えている。その結果、この国は頭から腐っているんじゃないか。そんな実感があります。

上記の「競争の不条理性」というのは、はっきり言って、NTTとソフトバンクとの競争のやり方のことです。ここでは、さらにこれ以上申し上げませんが、少なくとも、SV会の諸先輩の方々が最初の現役で活躍されていた頃には、日本の国際競争・協調はもう少しマシだったと確信している私としては、いずれいつか『この10年、日本の情報通信産業の活気を殺いだ元凶は誰だったのか?』と問う歴史の断罪が下される日が来るだろう!と申し上げて、誠に中途半端なところですが、今回はここまでとさせていただきます。

今後ともご指導・ご鞭撻の程、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 

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